せんだい食農交流ネットワーク代表理事 斉藤緑里(シニア野菜ソムリエ)

OrganicWeek Sendai2016実行委員/せんだい食農交流ネットワーク代表理事の斉藤緑里です。旬の野菜果物をはじめ《日々食べるものが心と体をつくる》ということを暮らしの中で実感し、主宰のレッスンやコラムなどを通して、その大切さをお伝えしています。

12年ほど前、偶然目にした「野菜ソムリエ」に興味をもち、ほどなくして、当時設立まもない「せんだい食農交流ネットワーク」の仲間に加えていただきました。 以来、食のプロフェッショナルの先輩方やオーガニックの(orそれに近い生産方法をなさっている)素晴らしい生産者さんから、多くのことを教えていただく機会に恵まれました。

なかでも、数々の生産者さんの畑にお伺いして、収穫体験させていただくだけでなく、畑の土に触れ、太陽の光や風(ときには雨も…)を含めた周囲の雰囲気までも実際に感じることができたこと…その積み重ねが、私にとってなにより大きな財産となっています。

こうした体験によって、食材を「商品」あるいは「食べ物」というだけではなく、もっと大きな捉え方をするようになったと感じています。食卓の向こう側に思いを馳せて(=農の現場・生産者さんに気持ちを寄せて)食べられることは本当に有難く、豊かで幸せなことだと思います。

10年間主宰しているレッスンでは、地域の旬の恵みを活かして、心と体を《優しく&易しく》調える食べもの&食べかたについて、ご参加の皆様とわかちあっています。ちなみに《やさしく》がふたつあるのは、①心と体に対して《優しく》、②日頃の食事に取り入れていただくために極力シンプルで《易しく》作れるレシピをご提案したい、という思いからです。

身近な生産者さんが育てて下さったオーガニック(orそれに近い生産方法の)野菜は、ごくシンプルにいただくだけで、私たちの心も体も《優しく&易しく》調えてくれます。

・日々の食事を大切にすること。

・食卓の向こう側に思いを馳せて、思いを寄せて食べること。

生活者ひとりひとりの小さな意志と行動(ex.オーガニックウィークの取組への参加も!)が、ゆくゆくは、私たちの健康寿命を延ばすことにつながり、さらには、日本の農業を守ること、環境を守ることにも必ずつながると信じています。

せんだい食農交流ネットワーク http://syokunou.org/

Vege-Fru Lesson  http://www.midorinayasai.com/

六根舎 田原 雅仁さん

皆様はじめまして。六根舎の田原ともうします。 加美町薬萊山のふもとでお米つくりをしております。 栽培面積の半分は、手間暇をかけて無農薬栽培、天日乾燥で。 もう半分は、農薬を使っての慣行農法です。

こう書くと、僕はオーガニックウィークに参加する資格があるのか、ちょっと不安になります。そもそもオーガニックってなんなのだろう。

一般的にオーガニックとは有機農法と和訳されますが、僕はこれにずっと違和感を覚えていました。 有機農法とは農業の方法論の範疇で、オーガニックとはそれをも内包した’生き方’をあらわすような、大きな言葉だと感じていたからです。

調べてみたところ、IFOAMは、オーガニックの原則として「生態系」「健康」「公正」「配慮」の4項目を掲げています。これ見た瞬間、僕の違和感は正しかったのだと腑に落ちました。オーガニックとはただの有機農法という意味ではなかったのです。

僕は大阪府の出身。非農家の生まれで、7年前に宮城に移住してきました。 人生の仕事としてお米をつくりたい、ド素人でも頑張ってみたらなんとかなるだろうという考えでした。宮城に来てから生まれて初めて田んぼを見て、お米つくりをゼロから学びました。

初めて目にする色々な人の農業、農法を学ぶ中で二つの大切な事が心に残りました。それは、「多様性」と「持続性」です。

田んぼに色々な生き物が共生しているように、農業も色々な農法が存在していてもいい。食べる人が好きな物を選べる「多様性」が豊かさじゃないか。 素晴らしいことでも続けなければ意味がない。何千年も続いてきた稲作の歴史をこれからも受け継いでいける「持続性」が農業には必須なのではないか。

逆に最も忌むべきは、排他的で偏りが過ぎる状態です。 自分の農法以外を認めず周囲に対しても閉鎖的、こうした方々は有機農業をしていても果たしてオーガニックと言えるでしょうか。公正ではなく、配慮もない独善的な有機農業はオーガニックではないと僕は考えます。

多様性の模索として、僕は有機農法と慣行農法に取り組んでいます。それが日本の稲作を連綿と持続させていく道になると信じているからです。

六根舎

URL: http://rokkonsya.com/

Facebook:https://www.facebook.com/rokkonsya/

自然農場 風天 中山 建さん

「自然農場 風天(ふうてん)」という屋号で、固定種/在来種の野菜を主に栽培している、中山建(はじめ)と申します。村田町の里山にある農場には、犬やウサギ、ヤギも暮らしています。

僕の育てる固定種/在来種は、日本や世界で種から種へと受け継がれてきた古い品種群です。現在スーパーなどでほとんどを占める”F1種”は、慣行農業、つまり農薬や化学肥料を適切に使う農業を前提として、品種改良されてきました。しかし固定種/在来種は、農薬や化学肥料がない時代から脈々と続いてきた品種です。それらを育てるために、必然的に昔と同じやり方を採用しています。

ある日畑で仕事をしていて、地元のお爺ちゃんと立ち話になり、彼がポツリと言った一言が印象的でした。「昔はみんな、中山君と同じやり方だったんだよなあ。」言われてみれば、江戸時代などは当然”有機農業”が当時の”慣行農業”だったはず。日本における農薬や化学肥料の普及の始まりは、戦後からであると聞いています。つまり、歴史の上でごく最近までは”有機農業”がスタンダードだったわけです。

こう書くと、僕が昔ながらのやり方だけにこだわる頑固農家のようですが、F1種や慣行農業を否定するわけではありません。それらの恩恵を受けていない人間は、現代日本ではほぼいないはずですから。

また僕は自分から積極的に”有機農業やってます!”ということは少ないです。有機農業と言うと、まあ「命」「宇宙」「生命」あたりはともかく「波動」「水素」「還元」といった怪しげな疑似科学的用語や、下手をすると宗教的な方向にいってしまいがち。それらが好きな方はいいのですが、僕はあくまでも固定種/在来種の旨さを広めるために農業をやっています。その理念を面白がってくれて「おお昔の野菜!今の野菜と違って、野菜臭くて味が強いけど、これはこれで旨いじゃないか!」となってくれれば十分に幸せです。有機だ愛だと騒ぎ立てずに、素直になればいいのです。

自然農場 風天

URL: http://foo-10.com/

ブログ: http://blog.foo-10.com/

Facebook: https://www.facebook.com/hajime.nakayama

ともちゃんの野菜畑 和田智子さん

 1haの畑に旬の野菜を年間80種類くらい作り、他に鶏を100羽程の経営をして20年余りになります。

 きっかけは20代の頃から震災まで洋ランの栽培もやっており、市場出荷の花はどうしても病害虫防除のために農薬散布は欠かせない作業で体調を崩すこともありました。せめて食べ物は農薬や化学肥料を使用しない野菜を食べたいねということになり、農地があるのだから自分で作れば安心安全が保障できるね!と作り始めました。

  最初は30a程の畑でしたが、自家消費としては多く親類や友人にあげているうちに、頂くばかりでは悪いので私の家の分の野菜と卵を作ってほしいと頼まれるようになり、口コミで広がって行ったのでした。ある人は幼い娘は市販の卵を触った手で身体を触ると湿疹ができたりするのに和田さんの卵は食べてもなんともない。と言われました。

  鶏は裏の雑木林の中に囲いをして放し飼いです。(夜間のみ鶏舎に入れます)鶏糞と米ぬか、もみ殻を発酵させ畑に施し、残野菜は鶏の飼料として無駄のない循環型の農業になっています。有機農業は天候に左右されることが多く、リスクもありますが廃棄処分になる野菜等が鶏の飼料となり、美味しい卵になると思うと無駄じゃなかったと、これも又有り!と思えるものです。

雨、風、雪、太陽の光、土の上、土の中の生物等色々な物が共生し育つ野菜達からは大きなエネルギーと健康をいただいて日々があると思うと感謝です。そしてこの豊かな自然環境の中で育った美味しい安全な食べ物を一人でも多くの人に味わってほしいものです。本来の農業の姿である有機農業を次代へと残していきたいものです。

さとう自然農園 佐藤好宣さん

私が有機農業に取り組み始めたのは、「野菜は化学農薬や化学肥料を使わずに育てられるのか」という素朴な疑問をもったことがきっかけでした。幼いころ、専業農家だった祖父母が化学肥料や農薬を使わないといいものが出来ないと言いながら野菜つくりをしている姿が不思議だったのです。何故、農薬が必要なのか?何故、虫はいないほうがよいのか?何故、化学肥料を使ったほうがいい野菜が出来るのか?本当に、「何故」だらけでした。そして、いつしか農薬や化学肥料を使わずに育ててみたいという探求心が生まれてきました。

実際に有機農業を始めると、目の前の畑でいかに虫がつかないようにするか、良い土にするためにはどうすればよいか、品質のよいものを収穫するにはどうすれば良いか等々、取り組めば取り組むほど、その魅力に惹かれていきました。また、手間がかかる有機農業ですが、畑で作業をしていると近所の方から「大変そうだから草取りしてあげるから!」と手伝ってくれたり、「有機で農業しているんですか?見に行ってもいいですか?」と見知らぬ人が畑に来たりと、畑を中心に人との交流が生まれました。

農業を始めるまで私はリハビリ関係の仕事をしており、そこで病気により言語障害、コミュニケーション障害になった方々のリハビリをしていました。彼らの中には、うまく話すことが出来ないことから引きこもりがちになる方や社会復帰したくても難しいという方がいました。

いつかリハビリの枠を超えて、障害のある方が交流できる場を創りたいと考えていたのですが、あるとき自分自身の中で有機農業=人との交流の場=障害のある人もない人も交流できる場と繋がったのです。現在は、障害のある人もない人もみんなで農作業をしながら交流するイベントを行っています。

私にとって有機農業とは、探求の塊であり、人と繋がる場でもあり、私の「生き方」と言えます。

さとう自然農園

URL: http://satoshizennouen.sakura.ne.jp/

Facebook: https://www.facebook.com/satoshizennouen/

村岡農園(Farm Muraoka) 村岡次郎さん

自分は、自然が好きなんです。自然といっても、最近は自分も自然の一部だと、この里山の中で生活をして、感じていますが。

自然は、美しい。何で、こうも美しいのだろうと思うのです。朝早く畑に行くと、太陽が出始めています。出始めた太陽の光は、植物を照らし始めます。照らされた植物には、夜の間気温が下がって夜露がついており、その夜露が太陽の光を反射させます。そして、反射させた光は、自分のいる空間をあっという間に、輝く黄金色の世界にしてくれるのです。

想像してください。 その時、自分は、ただ一言、「きれいだ」と心の中でささやくのです。自然は、美しい。そういう中で、生きる人間として、得体の知らない化学的なものを使い、他の生き物を殺していく、この自然界のバランスを壊していくというのは、受け入れがたいものがあります。例え、得体の知らない化学的なものを、どういうものなのか知ったとしても、奇妙さが残るでしょう。また、そういうものを使わなくても、植物たちは強く、たくましく生きていける。そして、そういう植物たちが付ける実を食べることで、自分も強くなれる。

確かに、経済性を考えれば、農薬、化学肥料を使うことは、効率が良いと思いますが、今の日本は飽食社会。食べ物を粗末にしてしまう社会に、それらは必要なのか、と思わされます。自分の畑の前を流れる真音川には、まだ蛍がいます。蛍の光を、将来この地にいる人々が見続けられるよう、この農園の営みを続けていきます。

 

村岡農園(Farm Muraoka)

ホームページ:http://farmmuraoka.strikingly.com/

ブログ:http://farmmuraoka.blogspot.jp/

facebook:https://www.facebook.com/farmmuraoka/

仙台秋保 くまっこ農園 渡辺重貴さん

農家に育った人間でない私にとって野菜や米は100%食べ物です、商品(お金に替えるもの)という感覚はありませんでした。

そんな人間が初めて農業を体験したのが23才の時。 自分で種を蒔いて育てたトウモロコシを畑で生でかじった時、あまりの美味しさに感動したのと同時に、「自分で食べるものを自分で作るというのはこんなに素晴らしい事だったのか!」と驚きました。 そして、畑で丸かじりした時のような新鮮で美味しい野菜を沢山作って食べたいと思いました。それを家族や友人にも食べてもらいたい。 これが出発点です。

農業を仕事にした今、「家族や友人に食べてもらいたい」という思いは広がり、延長線上にお客さんがいます。思いは同じ、自分が食べたいと思うような新鮮で美味しい、畑で丸かじり出来るような(安心な)野菜を食べてもらいたいという事です。だから、頑張って農薬を使わないようにしているというよりは「自分や家族やお客さんが食べる物」に殺虫剤やら殺菌剤をかけるという発想は最初から持っていなかったという感じなのです。

日本の農耕の歴史2300年、農薬の歴史100年、2200年無農薬農業でした。今の農業のやり方が100年後も続くでしょうか?「とりあえず今良ければいい」農業ではないでしょうか?

我々には、子供や孫の世代が安心して暮らせる自然環境を残す義務があります。我々の先祖がそうしてくれたように。農家も消費者もみんなで「100年後も持続可能な農業」を考えていきませんか?進化だけが正義ではありません、時には退化が正義の場合もあります。鉄砲を捨てた江戸時代の日本人のように。

*ノエル ペリン著 「鉄砲を捨てた日本人」

 

仙台秋保 くまっこ農園

URL:http://kumakko.info/

Facebook: https://www.facebook.com/kumakko4649/

みやぎ環境とくらし・ネットワーク理事 谷口葉子

 私にとってオーガニックとは、ずばり、熱帯雨林です。熱帯雨林では、多様な生物が誰に指図される訳でもなく、本能のままに活動し、自然な秩序をつくり出します。近代農業が整然と管理された人工樹林だとすれば、有機農業は人の手が入っていない自然林です。ならば熱帯雨林などと言わず、温帯林でいいではないか、と言われるのですが、熱帯雨林と言った方が、私のオーガニックに対する考え方をより象徴的にわかりやすく表現できると感じています。

 熱帯雨林の生物たちは、豊かな生態系を維持する術を本能的に知っているようです。でも人間は、生態系を維持するために必要な行動が、本能に組み込まれていません。生態系を維持する方法を少しは知っていても、十分に行動できていません。だから私は、オーガニックは人間が本来持つべき生存や種の存続のための本能を取り戻す運動だと思っています。
 オーガニックはよく、有機野菜や有機米といった「モノ」として捉えられます。でも、もしかすると、100年後のオーガニックと、今のオーガニックは同じモノではないかもしれません。私は、100年後のオーガニックは、今よりももっと多様な意味を含むものになっているのではないかと感じます。なぜなら、オーガニックはこれまでも、新しい課題を取り込み、膨張を続けてきたからです。つまり、オーガニックは時代と共に変化するものだと思うのです。だから、モノとしてではなく、システムとして捉えることが必要だと思います。
 オーガニックのものを購入することは、自分が食べたいもの(農薬不使用であったり、GMOフリーであったり)を選ぶ権利を行使することです。同時に、オーガニックを購入することで実現される社会へ向けて一票を投じる行為でもあります。オーガニックのシステムをつくること、栽培者になること、購入すること、いずれも、誰に強制されるでもなく、自主的に実践している社会参加であり、社会への影響力の行使です。
 オーガニックをモノとして捉え、その面的・量的広がりだけを目標にしていると、強権的な政策や潤沢な補助金で安易に解決してしまおうという誘惑にかられてしまいます。オーガニックをシステムと捉えていれば、私たちが強い市民社会をつくることやそのための成長の機会を得ることが必要だと感じられるかと思います。オーガニックは参加型社会の実践だという考えに、より多くの人々が共感してくれることを願っています。